“無印良品”ブラウン・メルセデスが、“ブランド”メーカーチームを蹴散らす7戦6勝、第7戦トルコGPで4連勝のJ・バトンがチャンピオンシップを大きくリード、完全に独走態勢に入った。
「あのマシンはメカニカルグリップが抜群なんです。エアログリップはレッドブルも匹敵レベルでも、そこがまだ劣っていて接近しても抜き去るところまでもっていくのが難しい。バトンはこのマシン特性をR・バリチェロよりもうまく引き出していて、それは走り終わった後のリアタイヤを見ればよく分かります。いま、無敵の組み合わせでしょうね。結果的にも“独走”になりましたが、レース内容からしてもうチャンピオンシップはこれで・・・(苦笑)」
そこまでベタ褒めするのはBSのチーフエンジニア某氏。現場部隊の技術者として、長年にわたって全チーム、全ドライバーを見てきただけに彼のトルコGP後の個人的見解にはとても説得力があった。
追いかける側、レッドブルのS・ベッテルが“捨て身”の攻撃走法でPPをとりにいき、スタートからバトン封じ込みに出た。が、10コーナーでコースオフ。「風のせいでミスした」とベッテルは潔く認めたが本当のところは、リアのグリップ限界の差だった。3回ストップ作戦に切り替え、M・ウェバーは2回のままでなおも2台で攻撃を仕掛けていったレッドブル勢だが、ショートスティントでもロングスティントでもバトンは堂々うけてたち、逃げ切った。
「まるで彼は別の惑星(世界)にいるような遠い存在だった」と、2位ウェバーは言っている──。
観客が激減、決勝日もイスタンブールパーク・サーキットは冬のバルセロナ・テスト並みの観客でしかなかった。TVカメラはそれを隠すような画面をつくり、観客不在の現実を世界に流さぬよう工夫していた。気付いた人もいたろうがこの寂しいスタンド光景を見るのは僕にすれば10年、いや15年ぶりだろうか。今ずっと続いている「2010年エントリー問題」、FIAとFOTAの政治的対立が影響しているのは明らかである。1950年から最高峰モータースポーツとしてF1世界選手権は60回目のシーズンを迎えたが、一人の“権力者”によって、分裂のときに向かっている。
この対立問題は、一見複雑でも、もとをたどればとてもシンプルだ。解決方法はすぐにでもある。FIAが言う、年間チーム予算規制案、バジェットキャップ(ファイナンシャル・レギュレーション)はスポーツ競争原理に矛盾がある。ノーだ。取り締まる会計監査は事実上不可能で、人の財布の中をのぞく権利がスポーツ公認団体とはいえ許されるものではないだろう。一気にすぐ10分の1に下げろという強制は、現存するチームに対し大幅な人員解雇を求め、一般社会で起きているのと同様な「雇用問題」に発展する。メーカー企業として従業員雇用対策が、このご時世とてもナーバスなテーマになっていることくらい、社会人ならよく理解できるはずだ。
チームにバジェットキャップを命じるなら、FIAも、FOMも“コスト削減”して、また現在の開催権料も10分の1に制限したら、我々はもっと気軽に(安い料金で)このスポーツを楽しむことができる。この抗争ははっきり言えばファンを全く無視した、権利を独占しようとする側と拒む側のケンカで、そこに数々の極端なレギュレーション変更を絡めた“政争”だ。
個人案を書く。FIAとFISAを以前のように分けるべきだ。スポーツ権能組織はFISAがすべて治めて管轄し、その最高責任者は兼任ではなく別の人物が選ばれるべきだろう。長期独裁政権の弊害がいっきに噴出したいま、これくらい思い切った改革が必要ではないか。
また自動車メーカー側はいったんエンジンサプライヤーの立場になり、F1コンストラクターとは新たなスタンスを取り、チーム運営面で実効的なコスト削減を求めていけば、長期安定継続路線が図れる。社内重役会でも参戦意義が認められ易くなるだろう。もちろん新規チームにも門戸を開き、かつてのように十数チームが予備予選から競い合っていくF1スポーツをめざし、「新規FISA」が数年スパンで再構築に取り組むのだ。
F1は誰のものでもない、メーカーのものでもない。声を大にしてそう言える権利があるのはF1ファンの貴方たちだ。